お客様インタビュー

葬儀を終えられたお客様に、花葬儀でのご葬儀について感想をお伺いしました。

花の巨匠 須山氏を、影となりひなたとなって支え続けた妻の「粋」な半生を伺った

故人様:女性 66歳
斎場:臨海斎場
プラン:一般葬ベーシック
会葬者数:100名

須山氏の妻、康子さんが亡くなった

私たち花葬儀が祭壇のデザインをお願いしているスヤマ秀花園の須山氏。
華道(小笠原流・草月流・池坊)はもちろん、空間デザインを年間150件以上施工し、草木が持つ本来の姿を光と陰で演出することを得意としている。
日比谷花壇をはじめ、業界のフローリストが見学に訪れるほどデザイン性には定評があり、その道の巨匠と言われている。

その須山氏の妻、康子さんが本年4月に亡くなった。

愛妻家で有名な須山氏が妻のためにデザインした祭壇は圧巻の迫力で参列者を魅了した。
その祭壇は説明などなくとも彼女を知る誰もが彼女のものであることを感じることができた。

その祭壇を見ていると夫婦という関係だけでは言い尽くせない強い引力のようなものを感じる。
須山氏が「巨匠」と呼ばれるようになったのには彼女の存在なしではありえなかった。

「本当にいい女だった」と祭壇を見つめながらつぶやく巨匠の横顔は、まるで舞台に立つ彼女を見つめているかのようだった。

花の巨匠と、それを影となり日なたとなって支え続けた妻、康子さんの半生についてお話を伺った。

一目惚れから3か月でスピード婚

出会い

彼らの出会いは42年前、須山氏が25歳の時だった。
花についてもっと学びたいと通い始めた青山にある山家直之助フラワーデザインスクールで須山氏の席の前に座っている美しい彼女に一目惚れしたのがきっかけだった。

彼女は建築会社で働いていて、これからの建築にはフラワーデザインが必要だと思い勉強しにきたとのこと。
話せば話すほど彼女に惹かれ、毎日のようにお互いの想いや情熱を語り合い、出会ってから3カ月でのスピード婚となった。

妻のプロデュースがあったから「本物」になれた

妻のプロデュースがあったから「本物」に成れた

康子さんは好き嫌いがはっきりしていて竹を割ったような性格。
自分がやると言ったら少しくらいの困難はもろともせずやり抜く強い意志を持っていた。

当時はまだ女性が働く権利が確立されておらず、1972年に男女雇用機会均等法の先駆けのようなものがあったもののそれが形となったのは1986年。よって、女性が働くことに関しての差別は当たり前のようにおこっていた。
特に市場となると女性が踏み込むことさえもためらわれるような男だらけの世界、女性が仕入れに出掛けるなどありえないことだった。

しかし彼女は「あたしが決めたこと」と言うと、あっという間に人脈を作り、男性に交じりながら手やり(指で行うサイン)で毎朝セリに出る程になっていた。
当時の秀花園は「東京の花屋といえば秀花園」と言われるほど規模が大きく、従業員も20~30名は常駐していた。
そこで、このままでは商店の一部でしかないと彼女が株式会社にすることを決め、経理等すべて行い、株式会社として運営を仕切った。
そんな彼女の姿を見て、須山氏も花をより美しくデザインをしていくことを追及し、日々勉強し、気付けばその業界では無二の存在となっていた。

そのころの大森の街は「黒壁」と呼ばれる高級料亭が多く、そういったお店からの注文が多かった。
すると、そのようなお店にふさわしい花をご提供できる感覚とセンスが必要だと、彼女は本物を知ることを彼に進めた。

須山氏と康子さん

店が終わると高級クラブに2人で出かけ、ピアノを聞きながらお酒を飲んだり、クラブの女性と朝まで話をすることも度々あった。
お店に飾られている絵や壺などに加え、女性達の立ち居振る舞いや品の良さは経験をしなければ知る由もなく、それこそが花という芸術を作るうえでの「本物を知る」ことの大切な要素であった。

クラブと言えば男性が通うお店のイメージだが、彼女はいつも一緒に出掛けた。
高級クラブの女性に負けない程の美しさと会話で周りを楽しませ、夫を最高の気分にさせていたことは間違いない。

結婚した時から、康子さんは須山氏のマネジャーとなり、彼をアーティストとして成功させるためにプロデュースしていたのだろう。
表向きは康子さんあっての秀花園と言われていたが、須山氏の才能を愛していたからこそ彼の生きる場所をより良い環境にし、輝かせることこそが自分の役目であると考えていたのに違いない。

「私の腎臓を使ってほしい」と言われた日

そんな中、須山氏が40歳を過ぎた頃、大きく体調を崩してしまった。
人工透析を受けつづけたがそれでも良くならず、50歳になったころには腎臓を移植しないとならない程に悪化していった。
医者から腎臓移植の提案を聞くと彼女はすぐに「私の腎臓を使ってほしい」と申し出た。
しかし飲酒の影響で彼女の腎臓も移植するには難しい状態だった。

すると、翌日から彼女は酒・たばこを止め、運動などスポーツクラブに通い始めた。
食事も徹底して改善し、半年後の検査では腎臓の数値が劇的に良くなったそうだ。

腎臓移植の手術が終わり、病室の2つ並んだベッドに横たわりながら満足気にほほ笑む康子さんの顔は息を飲む程美しかったそうだ。

出会ってから死ぬまで毎日好きだった

出会ってから死ぬまで毎日好きだった

お休みができると車を走らせ、あてのない旅行に行くのが楽しみだった。

「温泉に行きたいわねぇ」と康子さんが言えば何となく北方面に車を走らせ、「夕日が見たい」と言えば海に向かった。
季節の移り変わりを感じたり、その土地に住んでいる人たちと触れ合ったり、そして何より車に乗りながら2人でいろいろな話をしながら時を過ごすのが好きだった。

朝起きて「おはよう」と言ってご飯を食べ、お店に行って一緒に花を売り、お店が終わると一緒に遊びに行き、家に帰ると枕を並べ寝入るまで話をする。
お互い一緒に居られることが嬉しくて、楽しくて、どれだけ一緒に居ても飽きなかった。
「出会った時から死ぬまで毎日好きだったな」
と優しい声でつぶやいた須山氏の顔が忘れられない。

妻が世界一のファンでいてくれた

ここまでの話を聞いて、須山氏も康子さんも本当にお互いを愛しているのだということがわかる。
人を愛するということは、「すき・きらい」では表現できないものなのかもしれない。

妻が世界一のファンでいてくれた

康子さんは結婚式で「連れ添う」と誓いをたててから、須山氏にとっての本当の幸せを常に考え、ともに成長し、笑い合い、太陽のように、時には影のように寄り添い続けてきた。

いつも「あなたの活けるお花は本当に素敵、大好き」と須山氏を褒め続けた。

『世界一のファンであり続けるということ』

彼を好きでいる自分が好きだし、彼が輝くために一生懸命になれる。
もちろんお二人のことを一言で表現することなどできないけれど、その表現が近いのではないかと思う。

こんなご葬儀でした

圧巻の花祭壇
  • 康子さん遺影写真
  • 雷神

愛する人のために巨匠が活けた祭壇

葬儀は東京都大田区の臨海斎場で式場を2間使って執り行われた。

祭壇は康子さんが生前「あたしの時はシンプルにしてね」と言っていたことを受け、真っ白な花を棺の周りにこれでもかという程に敷き詰めてシンプルに。
それに、須山氏が思う彼女のイメージカラーである赤をアクセントに「ダリア」を棺の上に置いた。

亡くなる少し前に家族で箱根に行った時、足湯に浸かりながら見ていた雷神と風神が印象的だったので両脇には雷神と風神をイメージし、小原流いけばなでそれを大胆に表現した。
そのいけばなは、お二人の愛娘たちが心を込めて作った作品だ。

雷神と風神を従えてただ真っ白な世界の中心にいる康子さんの遺影写真は息を飲むほど美しく、凛としていて、こんなにも「粋」という言葉が似合う人はいないだろうと思わせるものだった。

今、そしてこれから

葬儀が終わり、娘さんから「お父さんを暇にさせちゃダメなんです。たくさんお仕事をさせてください。」
(そうしないと塞ぎこんでしまうから)というお言葉をいただき、翌々日からは連日で仕事を依頼させてもらった。

スヤマ秀花園で康子さんが担っていた仕事は、娘さんお二人が引き継ぎ、彼女たちのやり方で新しい秀花園を作り始めている。
毎日4時に起きて市場に行き、花を仕入れてくるのはもちろん娘さんたち。
お二人とも、康子さんにそっくりで、凛とした女性である。

今日も花の巨匠は、娘さんにあれこれ言われながら祭壇を作りに出かけていく。
ご家族に寄り添い、その方の人生を映し出すような花祭壇を作り続けている。

「半年経ちましたが、寂しくないですか?」と聞くと、
「まあね、もちろん寂しいさ。でもね、俺の腎臓は半分康子からもらってるから、ここに康子がいるんだよ」
とまるで康子さんに語り掛けるような優しい声で話してくれた。

燃え上がるような恋愛を一生続けていくことは難しいのかもしれないが、
愛している人のために必死になれること、寄りかからず寄り添ってあげられる人はきちんと愛される。

「いい女だったなぁ」
という須山氏の言葉が頭から離れない。

これからも天国の康子さんは須山氏の作品のファンであり続け、須山氏は康子さんを愛し続けるのだろう。

年をとっても素敵なおふたり

花葬儀の葬儀プランナー

今回、康子さんの葬儀を担当させていただいたのは、葬儀プランナーの山田である。
インタビューの最期に「葬儀を終えて、何かご感想はありますか?」という質問に「山田さんで良かった」と言っていただいた。

花葬儀の山田

フラワーコーディネーターと葬儀プランナーは、お客様とのお打合せ、祭壇の組み立て、葬儀が終わって撤収するまで行動を共にすることが多い。
他の葬儀社の仕事も請け負うことも少なくない中、「花葬儀の山田」にご依頼いただいたことは、とても光栄なことだ。
「とても信頼しているし、お客様の想いをよく聞き入れてくれるから」が一番の理由だったそうだ。
あとは「あ・うんの呼吸」であるということ。
「あ・うんの呼吸」と言っていただいたが、これも山田の得意とするところで、お客様の少しの変化をよく見ていて、
言葉にする前にそれを察して動くことができる。
花葬儀では、祭壇はもちろん、お客様に寄り添ったご案内ができるプランナーが多い。
葬儀のことでご不明なことがあれば、いつでもご連絡をお待ちしております。

エピソードとお写真は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。

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