花葬儀を選んだ理由
花葬儀の取材をしていたことが、きっかけ。真っ先に頭に浮かびました。
それは、突然のことでした。心臓を患っていた父の様子がおかしいと気づいたのは夜の9時すぎ、救急車を呼んだときには、すでに亡くなっていたようです。直接の死因は、急性心臓死。あまりに急な出来事で、母は茫然自失となり、ひとり娘の自分がなんとかしなければと、とにかく葬儀社を探し始めました。
ネットで検索しようとして、まず浮かんだのが花葬儀です。実は、父は大学で中小企業論や地域活性化論などを教えるかたわら、経済評論家としても活躍しました。多くの著書があり、その影響もあってか私はフリーのライター兼エディターで、以前、花葬儀を取材したことがあったのです。その名のとおり、花祭壇へのこだわりは強く、葬儀の花の既成概念をくつがえされ、脳裏に残っていたのでしょう。ほかの葬儀社のサイトも見ましたが、いずれも昔ながらのクラシカルな祭壇で、我が家のスタイルや父の性格には合いそうになく――。結局、1時間後には花葬儀に電話をしていました。
わずかな時間での選択に確信が持てたのは、駆け付けてくれたプランナーさんにお会いしたときです。驚いたことに、素敵な花束を渡されました。白ベースなのですが、いわゆる「お悔やみ」らしさはなく、それでいて心に染み入る花束。こうしたセンスの花束を、このタイミングで渡してくれるところなら、最愛の父の葬儀を任せても大丈夫だと確信したのを記憶しています。
花葬儀を体験して良かったこと
プランナーの方から贈られたサプライズの品に、涙が止まりませんでした。
プランナーの方からのサプライズが、忘れられません。ある経済誌で、父とライターの私が一緒に仕事をしたことがあります。浅草にある老舗パン屋さんの社長のインタビュー記事を父と私とで担当したのです。「祭壇のまわりに思い出の品を飾りましょう」とプランナーの方に提案され、とりあえず著書を準備していたところ、父の訃報を知った経済誌の出版社が、その記事のPDFを送ってくださいました。もちろん、父と私の二人の思い出深い仕事でしたから、そのページをコピーし、それもプランナーの方に渡しました。
なんの説明もなく、ただ渡しておいただけなのですが、葬儀の前日にプランナーの方とお会いした帰り際、「ペリカンの食パンを買ってきたので、明日の朝は、これを召し上がってお越しください」とおっしゃるのです。正直、「ここまで、やってくれるのか!」と言葉を失い、とても感動しました。
花祭壇では、花葬儀の真骨頂を見ることができました。打ち合わせで、フラワーデザイナーの方が描いた花祭壇のデッサン画を気に入ったのですが、実現するには予算オーバーでした。結局、花のボリュームを減らして費用を抑えることに――。しかし、葬儀会場に行ってみると、デッサン画と遜色ない花祭壇が目の前に現れたのです。
理由は、供花分のお花代を祭壇の花の費用に充てる方法を取り入れたからでした。すばらしいシステムです。合理的であり、供花をくださった方々のお陰で理想の花祭壇にできたことへの感謝の気持ちに包まれました。
お父様はどんな方でしたか?
経済評論家として数え切れないほどの人々とかかわり、慕われていました。
花祭壇にカラフルな色の花を飾りたいと願った理由は、父が数えきれないほど多くの人たちとかかわってきたことにあります。父は経済評論家で、日本の中小企業の実態と可能性に迫った著書『中小企業新時代』がベストセラーとなりました。中小企業の経営者や商店街の店主への聞き取り調査など、現場でのフィールドワークを重ねてきたひとつの成果です。
ただ、単に話を聞いただけでは、ありません。父が教授を務める大学近くの商店街を一緒に歩く機会があった際、店主の方々から声がかかり、なかなか前に進めない――。父が、店主の皆さんとお店の未来について語り合う姿が目に浮かびました。講演に呼ばれることも多く、おそらくそうした場でも、経営者や従業員の方を勇気づけ、持ち前の明るさで会場を湧かせていたのだと容易に想像できます。こうして、さまざまな人たちとの出会いの中で紡がれてきた父の人生を、色とりどりの花祭壇で表現したかったのです。
「超」がつくほど明るくにぎやかで、たいへんなお酒好きでもありました。
陽気で明るい父は、たいへんなお酒好きでもあり、体調が悪くなってからも冷蔵庫にビールがあると、冷やしてある分をすべて飲んでしまうほど。飲みすぎないように、母が毎日、1本ずつスーパーで買ってきては冷蔵庫に入れていました。
でも、亡くなる前の晩は飲んでいなかったので、やはり体調が悪かったのですね。そんな大好きだったビールを、湯かんのあとに口に含ませてあげられました。お風呂上がりのビールは最高だったことでしょう。
強い正義感を持つ、自らの道を自らの手で切り拓いてきた努力と信念の人。
明るい父でしたが、決して穏やかではなかったと思います。
大学の教授会では、歯に衣着せぬ発言で、まわりの教授たちから煙たがられることもあったと聞きました。自分が正しいと思えば、護身など考えずに突き進む人でした。
その正義感と精神力の強さは、自らの道を自らの手で切り拓いてきたからこそ身についたものです。叔父の話によると「経済的に苦しいから、高校まで出してやることをありがたく思え。大学で学びたかったら自分で行け」と言われ、父は東京に出てきたそうです。そして、郵便局や全国逓信労働組合で働いて資金を貯め、共働きの母の協力を得て、45歳で大学入学の夢を果たし、後に経営学の博士となって人生を大きく変えた。我が父ながらとても真似のできない、あっぱれな生きざまだったと尊敬しています。
こんなご葬儀でした

お式への要望
父の人生が感じられるカラフルな花祭壇にしたい。
〇花の種類は問わないので、父らしいカラフルな色の花祭壇にしたい。
〇葬儀の前に湯かんを行い、最期に父とゆっくり語り合う時間がほしい。
〇無宗教で、近親者のみの家族葬として見送りたい。
実際のご葬儀
〇お父様の性格が明るく陽気だったとお聞きし、カラフルで華やかな花祭壇としました。
〇メモリアルコーナーに、たくさんのご著書や愛用されていたパソコンなどを飾りました。
〇お父様の節目やご家族3人の思い出の写真をスライドショーで流しました。
〇ご長女とお父様が一緒に担当された、「ペリカン」パン屋さんの取材記事にちなんでペリカンの食パンをご用意しました。
葬儀を終えての感想はいかがですか?
突然だった父の死。幸運にも悔いのない葬儀ができた体験をもとに、葬儀への向き合い方をテーマに記事をつくりたいと思っています。
急な旅立ちでもあり、最後に父とゆっくり話をする時間を持ちたかったので湯かんを行いました。身体や髪の毛を洗い、メイクもしてもらい、講演でよく着ていたお気に入りのスーツを着せました。父の髪をシャンプーしながら、「そういえば、お父さんの髪の毛を洗うなんて初めてだね」などと話しかけ――。生きているとまでは言いませんが、旅立つ前に最後の会話ができたことは貴重でした。湯かんをしていなければ、いまだに心の整理がついていなかったかもしれません。
私は運良く1時間で最上の選択ができました。しかし、もし、花葬儀を知っていなければ、どうなっていたかわかりません。メディアにかかわり、比較的たくさんの情報に触れる機会が多い私でさえそうなのですから、
この瞬間にも突然のご不幸に見舞われたご家族は、どんなにか不安だろうと感じます。であれば、私はライターなのだから、「葬儀への向き合い方に関する、わかりやすい記事や本を手がけたいな」と思いました。
父を失い呆然としていた母でしたが、花祭壇を目にした瞬間、花葬儀のコンセプトを実感したようで、「80年も生きてきて、初めてこんな葬儀を見ました。ありがとうございました」とプランナーさんに御礼を言っていました。その姿を見て、私もホッとし、うれしかったですね。葬儀社の選択がいかに重要か、花葬儀を体験したからこそ、多くの方々にそれを伝えていきたいと思います。
エピソードとお写真、映像は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。














