花葬儀を選んだ理由
葬儀の主役は母。だから、誰よりも母が満足してくれるような葬儀にしたいと思っていました。
母の容態がいよいよ厳しくなったとき、葬儀社をインターネットで探していて、たまたま花葬儀のサイトにたどり着きました。花で彩られた華やかな葬儀の写真を見て、「ああ、母らしくていいな」と。母は生前、「私の葬儀は紅白幕を張って、花火を一発上げるくらい、賑やかにやってほしい」などと冗談めかして話していたこともあり、「葬儀の主役である母が喜ぶような式にしたい」というのが一番の要望でした。
メモリアルコンサルタントの方に「ご友人がとても多いので、一般葬のほうがよろしいのでは」と提案していただき、家族葬ではなく一般葬にしました。当日は予想以上に多くの方が母とのお別れに足を運んでくださり、きっと母も喜んだと思います。祭壇に用いたひまわりは、空間デザイナーの方が母をイメージして提案してくださいました。どのような葬儀にすればよいのか、当初はまったく見当がつきませんでしたが、私たちの言葉にならない思いを形にしていただくなかで、心の整理も少しずつ進んでいきました。
さびしがり屋の母が入院中もずっと「家に帰りたい」と願っていたのと、留学中の孫が帰国してお別れできるようにしたかったので、自宅に安置する期間を数日いただきました。自宅に安置中も花葬儀の方が毎日様子を見に来て下さったので、不安を感じることなく穏やかに過ごすことができました。その間に、写真を整理したり、お世話になった方々とお別れをしたりしながら、家族で母の人生をゆっくり振り返ることができました。
花葬儀を体験して良かったこと
花々の中でドレスを着た母を見て思わず「白雪姫みたい!」と声を上げました
葬儀では、「シャンソンのコンサート会場」をイメージした空間をつくっていただきました。若い頃から友人が多く多趣味だった母が、人生の最後に夢中になっていたのがシャンソンだったからです。自宅にあったたくさんの発表会用ドレスから3着を選んで会場に飾り、楽譜台も置いて、まるで「シャンソン歌手のお別れ会」のような会場になりました。納棺の際には、母のイメージにぴったりのオレンジ色のドレスを着せてあげて、遺品を整理していて見つけた父から母へのラブレターも棺に納めました。
当日、会場を見たときの第一声は「わぁ、きれい!」。入口の両脇には空間デザイナーの方が「自立した女性」という母のイメージで取り入れてくださったドウダンツツジがスッと立っていて、とても素敵でした。会場を通りがかった方から、「すごいですね、こんな素敵なご葬儀ができるんですね」と声をかけられたり、ご住職から「社葬ですか?」と尋ねられたりするほど。花道のような通路を進んでいくと、その先にはまるで美しい森の中で眠っているかのような母の棺があり、思わず「白雪姫みたいだね」と声をかけてしまいました。
打ち合わせのときにスケッチ画を見せていただいていたのでイメージはありましたが、実際の会場は想像をはるかに超えるものでした。孫たちも「ばぁば、きれいだね」と語りかけていました。
BGMには、母が発表会で歌った音声が残っていたので、その中から3曲を選んで流しました。また、思い出の写真もたくさんあったので、私たちでセレクトしてスライドショーを作成し、会場で上映しました。振り返れば、周囲の人に尽くし尽くされてきた母の88年の人生は、とても幸せなものだったと思います。
お母様はどんな方でしたか?
85歳まで働き続け、生涯現役を貫き通した芯の強い人でした
右:お孫様と一緒に米寿祝いのお写真
母は満州から家族とともに九州へ引き上げ、その後、東京オリンピックの年に伯父を頼って上京しました。末っ子だったこともあり、幼い頃から兄や姉に大切に可愛がられて育ったそうです。東京では大手建設会社の事務員として勤務し、その後結婚してからは父の会社で経理を手伝うようになりました。しかし、父が若くして亡くなったのちには社長を引き継ぎ、それから30年以上にわたり、85歳で体調を崩すまでずっと会社を守り続けました。夜遅くまで仕事をしていた母の姿を今も思い出します。
おしゃれ好き、おしゃべり好きで、いつも周囲に笑い声が絶えませんでした
交友関係がとても広く、声をかけられると一度は何でも挑戦してみる人でした。スポーツも若い頃からスキーやゴルフを楽しみ、海外旅行にもよく行っていました。歌は若い頃から好きで、80歳を過ぎて通い始めたボイストレーニングでシャンソンと出会い、練習嫌いで先生に叱られることもありましたが、仲の良い友人たちに支えられて楽しく歌い続けていました。おしゃれをして出かけ、人とおしゃべりをし、周囲を楽しませる――そうした日々が、母の長寿にもつながったのではないかと感じます。
とても面倒見が良くて寂しがり屋。いつも誰かと一緒にいたい人でした
右:思い出の料理「鯛サラダ」
母はとにかく面倒見が良く、「私がやらなきゃ誰がやるの」が口癖でした。PTAや子ども会、自治会、老人会、地域のお祭りの役員など、さまざまな場で中心となって活動していました。一方で、寂しがり屋でもありました。私が仕事で遅く帰っても必ず起きて待っていて温かい料理を用意し、夜中に天ぷらやとんかつを揚げてくれるなんてことも。「ああ、自分は愛されていたのだな」と感じます。母の思い出の料理は「鯛サラダ」。お祝い事やお正月には必ず作ってくれたご馳走で、今では母から娘へ、そして孫へと受け継がれる我が家の味となっています。
こんなご葬儀でした

お式への要望
アクティブで明るい母らしく華やかな葬儀で送りたい
〇葬儀の主役である母が喜んでくれるような式にしたい
〇最後まで熱中していたシャンソンをイメージする会場にしたい
〇生前に母が希望していたような明るく華やかな葬儀を希望
実際のご葬儀
〇シャンソンのステージをイメージしてドレスと楽譜台を飾りました
〇明るかったお母様のイメージから黄色いひまわりを祭壇にあしらいました
〇生前ゴルフがお好きだったので、納棺用の木製ゴルフクラブを飾りました
葬儀を終えての感想はいかがですか?
大好きだった母の人生の証になるような素敵な葬儀ができて娘として誇らしく思います
本当に自由なかたちで私たちの「やりたいこと」を思いのままに叶えていただき、母らしい葬儀ができました。ご参列いただいた方々にも「こんな葬儀は初めて!お母さんらしくていいね!」と言っていただけました。娘としても、母がこれまでがんばってきた証になるような母らしい葬儀ができたことが本当に嬉しく、誇らしく思います。
花葬儀は、固定観念にとらわれず、その方らしいお別れを望むご家族におすすめしたいと思います。供花は祭壇に入れ込むスタイルだったので、最初は周囲に理解してもらえるか不安でしたが、母をよく知る親戚はみな快く賛同してくれて、「とても素敵だね」と言ってくれました。
花葬儀の方々には本当に感謝しています。葬儀について何も分からず、母を亡くして落ち込んでいた私たちに寄り添い、細やかな気配りをしていただきました。姉妹二人で喪主を務めさせていただいたことも、大切な思い出となっています。母が生前よく「女の子を二人産んで良かったわ」と口にしていたので、姉妹で見送ってあげたいという願いが叶いました。母の遺影と合わせて、父の遺影を白黒からカラーにして同じサイズのフォトフレームに入れていただいたのも、心温まる配慮でした。どうもありがとうございました。
エピソードとお写真、映像は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。














